• うめざわしゅん

嘔吐

社会と繋がつてゐる、繋がらざるを得ないことによる嘔吐感が最近エグくて参つてゐる。それは予測してゐたことではあるのだが予測しなかつた災厄よりも予測してゐた災厄のはうが遥かにタチが悪いので。

「責任」などといふやつを負はされる謂れは一切ないにも関はらず責任を放棄することは確かに不当となる、といふ狂つた状況。

有感生物の条件にプラスしてさらに人間の条件が掛け合はされることで理不尽さが無限大になりあの古臭い「不条理」といふ言葉を使ひたくなる。

「みんなさうなんだよ」といふのはなんの慰めにもならない。その程度において個々人は完全に不公平であつて、何をどうしようが根本的に生きるのに向いてゐない人間は存在する。しかし社会とマジョリティがこれを認めることはないため益々生きるのが厳しくなる負のループ。

といつて社会的孤立もそれはそれでWellーbeingを下げるのが確実なのでソローみたいに人里離れた森の中で生活したいとも思はないし。

色々考へると「大金だけ持つて都会で隠遁しながら都合のいい人間関係を時たま金で買ふ」といふのが最適解な気がするがそんな幸運に恵まれた人間がこの世に何人ゐるだらう。それにそんな幸運の持ち主ですらそれ相応の吐き気に付きまとはれるに決まつてゐる。ともすると「彼」の吐き気のはうがもつと酷いのかもしれない。結局のところ人間に逃げ場などないのだ。

欲望にも孤独にも中庸にも救ひはないと分かつてゐるのに仏陀どころかストア派ほどの知恵も徳もない。

シオランがフィッツジェラルドを評して「パスカル的精神を持たずにパスカル的危機に陥つた」と書いてゐたのをふと思ひ出した。

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