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  • うめざわしゅん

「まあ」

ジムに週二~三回は通ひサボる時もあれどもう十ヶ月くらゐ続いてゐるので我ながら偉いなと。

若かりし時、ジム通ひするやうなオッサンにだけはなるまいと固く心に誓つたものだが若造の自分の決意なんぞどうだつていい。腰痛もマシになり睡眠の質も(多少は)良くなつたし、EDMがエンドレスに流れ続けることを除けばジムは良い。

またジムといふ場所は人生の先輩方からふとした学びを授けて貰へる場でもあるのだな、と思ふ出来事があつた。


つひ先日、ロッカーのところで初老、老齢の婆さん二人組がペチャクチャ話してをり、リウマチが酷いのどうのといふ話をしてゐる。足の間接の痛みが酷かつたがジム通ひをすることでよくなつた云々…

即興味を失ひイヤホンで耳を塞ぐ前にリウマチの婆さんがこんなことを言ふのが聞こえた。なるべくそのまゝを再現してみよう。



「本当に足なんてなくなっちゃえばいいと思ったわよ。まあ、そんなことはないんだけどね」



さう云つて少し笑つたこの歯抜けだらけの老女が1日100円の場末ジムで放つた印象的なポエジーにしばし意識がn次元に飛んだ。

野暮なことを付け加へたくはないが個人的には二つのセンテンスを繋ぐ「まあ」が持つ無限のニュアンスの美しさに心が動かされた。

それがなければ彼女の朗らかさがある種の攻撃性を帯びてしまつたかもしれず、といつて代はりに「でも」や「だけど」では劇的効果を狙ひ過ぎて鼻白んだらう。

この「まあ」はクッションとなり否定と肯定を緩やかに繋ぎながらもお互ひが引き合ふ緊張感を決して失はせてゐない。

そして最初のセンテンスの「足」の部分は完全に入れ替へ可能であつて、そこに「愛」でも「子供」でもなんでもいいが、各自それぞれ思ふところあるモノ・人・概念を代入してみてほしい。

聞き手の老女はといへば、ほぼ一方的に話すおそらくジムでしか会はないであらう友人の言葉をろくろく聞いてゐないものの、ニコニコと頷くその姿には生き長らえてきたもの同士の間に流れるリスペクトが感じられた。

リウマチの婆さんは彼女に「まだ(ジムに)いるの?あんまり引き止めちゃ悪いわね」と言ふとそそくさと帰つて行つた。

ジムの中ではBillie Eilishの『bad guy』EDM ver.が、トレッドミルで同一座標を走る者達を狂気に追ひやるかのやうに爆音でリピートされ続けてゐた。

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