検索
  • うめざわしゅん

無関心と好奇心の二重性についてのコペンハーゲン解釈

馬鹿げたグロテスクな儀式がパロディ(一体何の?)のやうに進行しつつ、よろづ意見を持つて表明しなければならないといふ民主主義の強迫観念が地獄の釜を開いた感がある。

この狂気の渦の中で正気でゐる為には無関心になる力は必須であり、「無関心力」みたいなタイトルの新書が求められよう。買はないけど。

まんじりともしない夜、無関心を欲してこの世と一切の因果関係の無い話題について考へようとする。

並行宇宙や量子のエンタングルメントや非存在の子供の笑顔や涙の形而上学や。

しかしすべてが因果の網に囚はれて昨日今日明日のヘドロの中に吸ひ込まれてしまふ。

何故なら此処は脳みその内側だから。

神経線維の束。その他はなにも存在しない単なるイリュージョンに過ぎない。だからといつてなんだらう。そんな程度のメタ認知で自分から逃れられるはずもなく。

それよりも、あの張り詰めた宇宙の突端部分で時間が消えた瞬間に向きあつたのは、全ての過去と未来と全空間に相対したのは誰(何)だつたのかを思ひ出さう。

自分自身を破壊する苦しみと引き換へに持ち帰つてきたものといへば 己=全=無 といふ三位一体の認識だつた。

今やecstasyはとうに去りボロきれの認識だけが残つた。一体あそこから引き返してきた人間が何か有意義で生産的なことなどしようと思へるだらうか。そんなもの一切信じてゐないのに。

俺は引き裂かれたままどうやつてベッドから起き上がる理由を見つけてゐるのだらう。

意外かもしれないがそれは好奇心なのだ。どうせならついでにしつかりこの目で見てやりたい。崩壊の様を。破滅を。つまりゴシップ好きの浅ましさ。といつてもそれは人間そのものの醜聞に限るが。

「私」とは無関心であると同時に好奇心であり重ね合はせの状態で存在が常に揺らいでゐる。どちらかであるときはどちらかでなく確定されてゐない。波動関数が収束するまでは。

31回の閲覧

最新記事

すべて表示

TENET※ネタバレあり

トップが入れ替はり新たな政権が発足したわけだが閣僚の顔ぶれも輪をかけてアレで死臭が漂つてゐる。けどまァ死に体の日本をよく表してゐるのでさういふ意味では信頼できる指標といふべきかもしれない。テレビをチラ見したら提灯持ちの浪花節で溢れ返つてて🤮 話変はりますけど例の出版物総額表示のやつは消費税を永遠に撤廃して解決すべき案件だ。そもそも消費税3%とか抜かした時に死に物狂ひで抵抗すべきだつたなボストン茶

秋津島サロン

ネポティズムとクローニズムの権化の如き政権がろくろく検査増強も医療整備もしないまゝ第二波に突入。何もしてねえんだからそりゃさうなるだらうつてことしか起きてないのに今更のやうに慌て出してゐるのは臍で茶が沸く茶番である。首相はのらりくらり逃げ回つては官僚作文を朗読してゐるやうだがせめて家に籠つて嫁と犬でも撫でてりゃいいものをGoToだのオリンピックだの余計なことばかり進めやがるので害しかない。日本医師

scrap and build

ベタベタした粘着質の諸々の欲望に取り囲まれた中心にゐるのが「自己」といふのが直観的な感覚だが実際に中心にあるのは無。ドーナツの穴であり空。物質がなくなれば消滅する錯覚なので、ならばドーナツ部分こそ自分では?と思ひたくなるがそこに一切関与できないのに何故それが「自分」と言へるのか謎だ。自分の欲望は自分とは一致してゐない。(自分の欲望は自分とは一致してゐないと思ひ始めたらおめでたう、患者の仲間入りだ)