• うめざわしゅん

存在負債と存在資産

日毎に存在の重さがどんどん増してゆく感じ。ここでいふ存在の重さとは意識・認識の過剰と同義なので対処法としては寝る(意識の喪失)が一番良い。といふかもう寝る以外にない。

しかし20年にわたる睡眠障害のせゐでまともな睡眠は望めない。結果、睡眠負債=存在負債がどんどん溜まつてゐる。


ところで思ふにかうしたblogやら、Twitter、Facebook、InstagramといつたSNSでの発信をする理由は(商売としての宣伝を除けば)大きく分けて2つあり、


①自己が重過ぎるから分散させて「存在負債」を減らしたい

②自己が軽過ぎるから分身を作つて「存在資産」を増やしたい


なんぢやないかと思つてゐるんだが、たぶんこの2つの理由が個人の中でもそれぞれの比率でカクテルされてゐる。

成功すればそれぞれ良い方に働くこともあると思ふが、観測してゐる範囲では①の人は分散させた自己もどんどん負債を抱へた挙句に破産して押し潰される、②の人は言ふこと為すこと全て薄つぺらく、よりスカスカな存在になつてゆく、といつた傾向が顕著に見られる。

さうなつてしまふ理由の一つには「数」のことを気にしすぎ、といふのが大きいかもしれない。どのフォーマットを見てもカウントされた数字がどうしてもフォーカスされる仕様になつてゐる。

しかし人間、他人の頭数を数へだすと自分もまたナンバリングされる客体となつてしまひ、いづれ精神に支障をきたす。(ソシオパスなら政治家やCEOとして成功できると思ふけど)

商売でもなければ数なんてどうでも良い筈なんだけどね。

自分の「味方」あるいは「敵」が〇〇人くらいゐる、といふ情報がそのまま生命に直結してゐた部族社会の名残りなんだらうなァ。

さういへば「少部数の単行本がまつたく売れない」といつた情報から受けるダメージは確かに金銭的事情ではない部分の方が大きいな、と己を振り返つて思ふのであつた。

16回の閲覧