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  • うめざわしゅん

ニッポン土人

最終更新: 2019年8月17日

自らの中の個人的自我と集団的自我の間で精神のバランスを取る事の大事、といふことを福田恆存が「精神の政治学」と呼んでゐたと思ふ。この個人的自我と集団的自我といふ考へはロレンスの「アポカリプス論」に書かれたものでちよつと晦渋だが今でも見るべき処が多くある。

自己を二つの概念に分けて考へるといふのは、精神⇔肉体、ディオニュソス的⇔アポロン的、情動⇔理性とかまあ昔からよくある二元論で、最近だとカーネマンが『ファスト&スロー』で書いてたシステム1⇔システム2とかも似たやうなもんだと思ふ。

個人的自我⇔集団的自我はさういつたシステム処理の二つの方法といふよりは、個人の持つ唯一性と関係性のどちらも無視してはならないよ、といふ言つてみれば人生訓みたいなことかな。

ちよつとわけわからないと思ひますがまあいいや。実践すべく集団的自我について思ふところを書いてみようと。ここまでが前置き。


え〜「人垢身につかず」なんてぇことを申しますけれども、お上に唯唯諾諾と従ふかお上が何とかしろといふ他力本願の二択しかない下民根性が骨の髄まで染み付いた日本土民にとつて権利だの自由だの民主主義だのは所詮「人垢」に過ぎなかつたんだな、と最近とみに思ひます。

本場の欧米にしたつてそんな理念は最早うまく働いてないみたいだけれども「人垢」でない分だけ対応はできるだらう、ある程度までは。

日本はどれも自前で作つたものではないから貧に窮して、戦後から、といふよりも明治からのメッキが今になつてボロボロ剥がれだしてるわけで。

まあこんなの言ひ尽くされた今更すぎる話なんだけど、偽善と虚飾で誤魔化し続けるよりはこれはこれで良いのかもしれないとも思ふ。堕落論よろしく一度メッキを全部剥がして世界に醜態さらして堕ちきつたはうが。だつてここから持ち直してメッキも金に変はつてニッポンがまともな「近代国家」になるなんてとても思へないし(近代国家の概念ももう大分ガタがきてるんだけどとりあへずそれは置く)。

そもそも近代国家をフィクションとして有効に使ふには近代国家そのものを相対化するやうな視点が必要な筈なんだけれど、それが日本には哀しいほどない。絶対的な視点が。それは哲学といつてもいい。

有るのは後ろ盾のない個としてのエゴくらゐだから、大衆世間は今みたいに排外主義と愛国尊皇節にすぐ熱狂するし、インテリ左翼も国家主義に対して弱々しくしか抗へない。

そんなわけで大日本帝国に続いて我が第2次大日本帝国も遠からず夜郎自大の果てに滅びます。国なんぞ滅びたつてぜんぜん構はないけれどもそれに巻き込まれるのは堪らないんで、さてどうしようかと思ふよね己の去就を。といつたつて他に逃げる処も金も能力も無いんだよねえ。ホント一緒に沈没するしかない。

昔から愛国心なんぞミジンコほども無いと思つてゐたが悪臭芬々たるこの国の最期はどうなるか見てやらうくらゐに今のところ思つてゐる。日本土民の一員として。

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